連合艦隊司令長官 山本五十六
連合艦隊司令長官 山本五十六 [ 三船敏郎 ] |
昭和14年(1939年)、日本では日独防共協定を日独伊三国軍事同盟に格上げしようとする動きが強まっていた頃、新潟県・長岡の地で渡し舟に妙な男が乗っていた。舟の上で逆立ちしたまま対岸に着けるか船頭と賭けをしたこの人物こそ、海軍次官として三国同盟を阻止しようと立ち向かっていた山本五十六であった。
独ソ不可侵条約の成立に伴い三国同盟派の平沼内閣は総辞職、米内内閣が成立し山本も海軍次官から連合艦隊司令長官へと転じ、旗艦長門より連合艦隊を指揮する身となった。だが米内内閣も陸軍によって総辞職に追い込まれ近衛内閣が成立、三国同盟は遂に締結された。山本は悩みつつも緒戦の勝利で短期に講和へと導くべく日米戦の計画を立てることとなり、同じ頃航空隊が鹿児島の上空で連日奇妙な訓練を行っていた。
昭和16年、日本はアメリカとの開戦を決意した。未だ日米交渉が続く一方、日本を離れた機動部隊は密かにハワイへと向かい、遂に12月8日の開戦が発令された。連日の訓練もあって赤城以下6隻の空母から発進した攻撃隊の奇襲は成功したが空母はハワイに停泊しておらず、山本はそのことが気にかかっていた。
緒戦の勝利によって日本中が沸きかえり、自らの企図した早期講和の考えと異なる方向に動き始めたことから、山本は講和の機会を得るためにも米空母部隊を誘い出して一気に撃破すべく、連合艦隊の新たな旗艦となった戦艦大和においてミッドウェー島を攻略する作戦を立案した。昭和17年4月の本土初空襲もあってミッドウェー攻略作戦は採用され、山本自らも連合艦隊主力を率いて出撃したがミッドウェー海戦は空母4隻を失う敗北を喫し、描いていた早期講和の構想も挫折した形となった。
昭和17年8月に始まったガダルカナル島の攻防戦は激しさを増し、陸軍を支援すべく行った駆逐艦による島への物資輸送も制空権を奪われた状況では損害を増やすばかりであった。山本の命令で戦局打開を図るべく戦艦金剛と榛名がガダルカナル島の飛行場を砲撃し、翔鶴・瑞鶴以下残存の空母部隊も米空母部隊と激しい戦いを繰り広げたが損害も大きく、ガダルカナル攻略は中止され連合艦隊は同島からの撤収を支援することとなった。
昭和18年4月、連合艦隊司令部はラバウル基地に移り、ソロモン諸島の制空権を奪還すべく空母の航空隊をラバウルに進出させてい号作戦を指揮した。一定の戦果を挙げたと判断し母艦搭載機を本土に帰した山本は前線の視察に赴いた。だが その行動は米軍に読まれていた…。
山本五十六(連合艦隊司令長官):三船敏郎
船頭喜太郎:辰巳柳太郎
江藤勇吉(憲兵曹長):荒木保夫
鈴木二郎(憲兵曹長):堤康久
宴席の男:佐田豊
宴席の男:若宮忠三郎
芸者:豊浦美子
辻政信(陸軍参謀):中谷一郎
陸軍少佐参謀:伊吹徹
陸軍少佐参謀:黒部進
木村大尉:黒沢年男
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